インターナショナル・フォスターケア・アライアンス

日本の里親インタビュー 第二回 角田さん

日本の里親インタビュー 第二回 角田睦子(つのだ・むつこ)さん 千葉県船橋市在住。親族里親を10年経験。 ◆家族構成を教えてください。 私の家族は21歳の孫娘と、夫と私の3人です。私は昭和17(1942)年生まれの71歳です。私の子どもは娘2人と息子1人。そのうちの長女は結婚して女の子に恵まれましたが、2歳になる前に離婚して母子家庭になりました。孫が8歳のとき、娘に乳がんが見つかり摘出しましたが、孫が12歳のときに再発し、ほどなくして亡くなりました。 ◆里親になられた経緯を教えてください。 娘が亡くなったあと、孫は私たちが育てるのが当然だという気持ちで一緒に暮らし始めました。孫が中学に通っていた3年間は、里親制度については全く知りませんでした。高校に上がる時に、母子家庭の支援について説明があると聞いて、「うちも当てはまるのでは」と思い参加しました。そこで学校の先生に「親族里親というものがあるはずですよ」と教えてもらいました。 家庭裁判所にも行くように言われました。未成年後見人の手続きをするために、家裁に4つの通帳を持っていきましたが、「この預金でお孫さんを育てられるのですか?施設に入れたほうがいのでは?」と言われてしまいました。とても冷たい言葉に感じました。世間でも、娘が亡くなったことに対して「お気の毒に」と言われていて反発心がありました。 そんなことがありながらも、児童相談所へ行って親族里親の申請をしたところ、すぐに認定してもらうことができました。養育にかかるお金を負担してもらえるとは思っていなかったので、とても驚きました。それまでの3年間は私も働きに出ていましたから。養育費、教育費、医療費など、本当に助かりました。 ◆今までの養育について教えてください。 孫は手のかからない子でした。高校生の時には酒店で真面目にアルバイトをしていました。私は「子育てはお金がかかるもの」と思っているので出してあげようとするのですが、孫は私に負担をかけようとしません。 一度だけ、孫が家の壁を蹴飛ばして穴を開けたことがあります。娘がなくなって間もない時期に「おばあちゃんなんか嫌い」と言われました。私も真剣に「ばあちゃんと暮らさなくてもいい。お父さんかお母さんのところへ行っても良いのよ。」と言いました。父と母がいないことだけは、どうもしてあげられません。それきり、大きな反抗はないですね。穴はまだ空いています。 18歳の時に短期大学への進学が決まって、そのことを児童相談所に伝えたら、20歳までの措置延長になりました。20歳なると同時に措置解除となり、私も親族里親を卒業しました。孫は今年から歯科助手として勤めに出ています。 私は福島の生まれですが、94歳になる私の母はまだまだ元気で、よく電話をしています。孫のこともとても気にかけてくれています。孫は、私のきょうだいや子どもたちなど、皆に支えられて育ってきました。そういえば私は自分の母にしかられた記憶がほとんどありません。これでもかというほどによく褒めてくれました。娘たちや孫に対しても、「子どもは褒めて育てるものだ」と思って今までやってきましたね。 ◆他の里親たちとのつながりやサポート体制について聞かせてください。 私は親族里親になると同時に、里親会の存在を知りました。そこで、ほとんどの里親が私とは違って他人の子を育てているということがわかりました。いわゆる「赤ちゃんポスト」という、匿名で子どもを託すことができる場所があることや、虐待された経験のある子どもが里親家庭にも増えてきていることを知りました。私にとっては全く初めての世界でした。 私は千葉県里親会の市川支部に所属していますが、どういうわけか副支部長を頼まれて、里親を卒業した今でも続けています。若い里母さんたちの相談役のような立場にならなくてはいけないのかな、と思っています。人と話をすることは大切ですからね。 私以外に親族里親はいません。他の人の子を育てている里親たちは、えらいなぁという気持ちです。ある日突然、一時保護で2人以上預かったりという話も聞きましたが、とても大変なのではないかと思います。 親族里親に限って言えば、交流の場というものは聞いたことがありません。東日本大震災のあと、親族のところで暮らす子どもがたくさん出たと聞きましたが、その後どうしているのか気がかりです。 ◆地域とのつながり、地域の特徴があれば教えてください。 里親会の市川支部では、児童相談所で毎年文化祭をやっています。子どもたちが歌や踊りの出し物をやります。絵を展示したり、里親は手作りのものを売ったりします。本当に盛り上がるので皆さん「またやりたい」と言いますね。こういうことをしている里親会はそんなに多くないみたいです。 文化祭のほかにも、お芋掘りやミカン狩りなどの行事がいくつかあって、里親同士、子ども同士の交流の場になっています。「市川里親だより」というものを年間5~6部発行していて、そこで交流の様子なども報告しています。 個人的には、千葉県の「里親のあり方研究会」にも参加しています。里親としてこれからどうあるべきかということについて、色々なデータを見ながら話し合います。一時期は日本でも電車の中刷りに「里親になりませんか」という広告があったと聞いたことがあります。なのに今は里親という言葉自体が知られていないですよね。今こそ知られるべきだと思うのですが。 ◆これからどのようなことが必要だとお考えですか。 里親が広がるためには、学校に訴えていくことですね。先生たちの中にも、里親制度について知らない人はまだまだ多いと思います。あとは、子どもを施設や里親に預ける親を少なくするために、学校で性教育をすることも大切だと思います。学校ではあまり深い話までは教えられてきませんでしたよね。子どもをつくることについて、育てることについて、しっかり学校で性教育をしなければいけない時代になったと思います。 私は本当に里親の活動を「卒業、卒業」と思っているのですが、まだまだやるべきことがあるのかもしれません。 –ありがとうございました。 ◇取材後記 日本の社会的養護のわずか1%である親族里親。角田さんはお孫さんの高校の先生に里親制度を勧められたことがきっかけでした。娘さんが亡くなられてから、お孫さんとの生活を守るために、さまざまな機関との連絡や手続きがあったことと思います。しかしその先生に会うまでは、一度も制度について知る機会がありませんでした。 日本では三親等(祖父母・おじおば)は扶養義務があるという民法上の規定がありますが、「里親委託ガイドライン」によれば、親族里親は扶養義務の有無にかかわらず三親等以内の親族として委託されます。制度を知らず、また、知っていたとしてもうまく活用できず、実親に代わってインフォーマルに養育している方は少なくないと思われます。 諸外国では、親のない子どもにとって「親しみのある養育者」への委託が優先されます。<家族の問題は家族で解決すべき>という自己責任論としての親族委託ではなく、<社会が子どもによりよい環境を与えよう>という意味で、親族里親が選択されていくことが望ましいと思われます。(IFCA日本支部・梶) ※ 厚労省によれば、1960年代に約2万世帯あった里親登録数も、2013年現在では8,726世帯(そのうち委託されている家庭は3,292世帯)。親族里親家庭の子どもは、すべての里親家庭の子どもの約15%、649人。