インターナショナル・フォスターケア・アライアンス

日米の、虐待をうけた子どもたちのケアにあたる人たち – アメリカの里親たち

この国の42万人いる里子の半数近くのケアをしているのは里親たちである。彼らはごくわずかな金銭的報酬を与えられ、虐待やネグレクトで身も心も粉々になった見知らぬ子どもたちを我が家に向かえいれる。「この子が親元に戻れるまでの時間をあなたの家で暫定的に過ごすのですから、子どもを手放すのを覚悟で、安全であたたかな家庭を保障してください。」と言い渡される。どんな子どもでもしばらく住み暮らすと情が移る。そんな子どもたちに6ヶ月や1年で別れを告げるのはどんなにつらいことか、想像がつく。 米国の里親も日本と同じようにいくつかの種類がある。 レシーヴィング・ホーム (1日から30日までの短期間の里子の世話をする里親) ロング・ターム・ホーム(長期間、里子を養育する里親) レスパイト・ホーム(レスパイトだけを提供する里親) アダプティブ・ホーム(肉親の親権がすでに剥奪されている子どもたちの養子縁組をする里親) ひとりの大人が里親になるまでには、いくつものステップをくぐりぬけなければならない。まず、数十時間に及ぶ訓練を受け、ライセンスを取得するにあたって、住居の安全性と環境、里子の受け入れに関する許容限度を調査され、家に住む18才以上の人間全員の素性調査がインタビューと指紋採取によって行われる。里親に与えられる報酬は地域によっても、子どもの条件によっても大きく異なるが、9才の子どもひとりを育てるために里親に支払われる金額は、年額平均4,930ドルだ(米国政府の調査では、9才の子どもにかかる年間の費用の全米平均は、8,260ドル)。子どもの医療費は政府の医療保険でまかなわれているものの、この金額では食費と衣料費もままならないだろう。 里親は、里子を学校へ送り迎えし、病院や歯医者へ連れて行き、子どものことで校長室から呼ばれれば学校に出て行き、子どもに関するすべての問題をソーシャルワーカーに報告して話し合い、場合によっては子どもの親との面会も、児童福祉局の指示にしたがって監督しなければならない。法廷へ子どもの発育状態を報告するのも里親の役目だ。 アメリカの里親はこの過去20年間、減少の一途をたどった。ワシントン州の里親の数も90年代後半には30パーセント減少。地元の新聞が「2歳児がオフィスビルの中で眠り、ティーンの里子たちが住む場所が無いためにホームレス施設や、少年院に緊急滞在している。」とその当時、報道している。 里親が里親業を廃業するにはいくつもの理由があるが、第一に、金銭面も含めた政府側からのサポートの希薄さがある。ソーシャルワーカーは手に余るケースワークを抱えているため、しばしば里親の疑問や要望にこたえられない。そして、何よりも大きな原因は、里子そのものにある。米国の里子は30年前とは様相を異にしている。現在の里子は、親の麻薬常用などの影響をうけ、身体の健康、精神衛生、学習機能、そして社会的な適応など、すべての面で多大な障壁を持って里親の家庭へと入ってくるようになった。里親は訓練をうけはするが、そういった困難に満ちた子どもを育てるだけの経験と許容力を培うまでには、多くの場合いたらない。かわいい幼児を里子として受け入れ、いずれは養子にするつもりで里親になった心優しき里親たちは、政府からの後を絶たないリクエスト・・・逮捕歴のあるティーンや、性的虐待の犠牲となり精神の問題を抱えた姉妹や、知的障害をもつ11才児を筆頭に3人の兄弟を受け入れてほしいなど・・・に閉口して、里親を廃業してしまう。 ワシントン州の児童保護局の中には、数年前まで、里親にライセンス(資格)を認可し、訓練し支援する部署もあったが、現在ではフォスターケア・ライセンシング局として分離され、いっそうの専門性と独自性を背負って業務を行なっている。 私は、シアトルのあるキング郡の里親リクルートの現状を聞くために、フォスターケア・ライセンシング局のマネージャーのローラ・ハダッドさんにインタビューした。「私たちの使命はふたつあります。」とローラさんは言う。「ひとつは、まず里親の数を増やすこと。もうひとつは、里親を減らさないように維持していくこと。キング郡の里親の数はいま950世帯。そのうちの、450世帯がフォスターケア・エージェンシーのような私立の組織が管理しています。残りが、州のライセンシング局がちょくせつ管理・監督している里親。私たちは、私立の団体と協力し合いながら、里親リクルートのためにあらゆる努力をしてきました。新聞、ラジオなどのメディアももちろんですが、教会やビジネスにも手助けしてもらっています。 里親リクルートのために、この1年ぐらい、私たちは子どもたちの通う小中学校に注目しました。学校の先生や校長先生たちに、里親リクルートのキャンペーンに協力してもらうのです。学校の行事の中にキャンペーンを盛りこんだり、里親募集のことを書いたチラシを生徒たちから親たちに手渡してもらう。地域のなかで、里親を増やすことはとても大切です。里子が自分の育った町や村を離れずに、同じ地域に住み暮らす機会を与えるからです。この郡でも里親不足が続いて、里子全体の3割がキング郡の外に措置されているのが現状です。それを改善しようとする努力はこれからも続きます。 里親になりたい、と考える理由は人によってさまざまですが、いちばん大きな理由はやはり『アダプション〈養子縁組〉』ですね。外国からの孤児を簡単にアダプションできる時代が終わったので、実際に養子として受け入れることができる子どもたちは国内が主になりました。もうひとつは純粋に里子たちを助けたい、という博愛の気持ちです。 里親を増やして維持していくためには、里親たちが集える機会をたくさんもうけることです。里親が里親業をやめる辞める原因のひとつは、『孤立』です。ソーシャルワーカーからも、他の里親からも支えられていないという不満が挫折感をまねきます。里親たちが地域ごとに集まり知恵や情報を交換するために、まずリーダーを選出します。これをハブと呼ぶ場合があるんですが、このグループはレスパイトを交換したり、トレーニングのために専門家を招いて講演会を開いたり、そんなクリエーティブな活動が里親維持につながっています。」 私は児童保護の仕事を通じて、今までにたくさんの里親に出会った。数多くの里親の中でも、この里親のことは一生忘れない、と思わせるような印象的な里親3人をここに紹介しながら、米国の里親をとりまく現状を伝えたいと思う。 〈子どもたちの永遠の家族を与える:ナタリー〉 底抜けに明るく、気丈なのに限りなく優しい。人情深く涙もろい。ナタリーは個性の強い里親だ。長い栗色の髪を無造作にかきあげながら、早口で子どもたちのことを話し始めると、ナタリーの色白の頬は赤く染まった。長年、保育園の先生をしながら、ひとり娘を育ててきた31歳の彼女はシングルマザーだ。3年前、キーシャ〔当時4歳〕とナサニエル〔当時3歳〕というふたりの黒人の里子をひきとった時のことをこんなふうに語った。「緊急の措置だったから夜8時を回って、夜勤のソーシャルワーカーがこの子たちを連れてきたんだけど、ふたりとも恐怖で震えてた。数日間は一言も口をきかなかったわ。やせ細って、歯に10箇所ぐらい穴があいてた。水が怖くて、お風呂に入らないから、ほんとに困ったわ。」 虐待がもとで、左耳に難聴があり、左目がよく見えていないキーシャは、言語の発達の遅れから金切り声を出し、物をたたいて叩いて気持ちを表していたが、ナタリーのところに来て数ヶ月で、言葉を使って気持ちを表現するようになっていた。乳児期に成長障害で入院した記録のあるナサニエルは、虚弱体質で風邪を引きやすく、喘息の発作を何回も繰り返し、ナタリーはそのたびに夜を徹して看病した。 このふたりの子どもの母親のデルシアは、転勤した恋人を追って、生まれ育ったルイジアナ州から、ワシントン州にキーシャとナサニエルを連れてやってきた。ナサニエルはまだ2歳になったばかりだった。そして、親子分離から2年後、知能障害のある母親のデルシアは突然、故郷のルイジアナ州に単身でもどって行った。自分の姉に、キーシャとナサニエルを引き取って育てるよう頼みに行ったのだ。ナタリーはキーシャとナサニエルを手放したくなかった。だが、裁判所が、デルシアの姉が実際にこのふたりの子どもたちを育てる能力と意志があるのかを、まず調べる必要がある、という決断を下した。里親のナタリーは裁判所の命令に従って、子どもたちを連れて、ルイジアナ州の叔母に引き合わせる3日間の旅に出た。この旅の後、キーシャとナサニエルはナタリーにまとわりついて離れなかった。里親のもとを離れて見知らぬ親族との生活が始まるかもしれないという不安からだった。叔母は結局、手のかかる小さな子どもを自分の家族に加えられないと悟り「キーシャたちを引き取るのは無理。」という通知を送ってきた。子どもたちと、ルイジアナ州にいる母親の接触は、週に2回の電話を通じた会話だけになった。 ナタリーとの生活になれきったキーシャは小学1年生に、そしてナサニエルは幼稚園へとそれぞれ進んでいった。これはある日、私がナタリーの家を訪れたときの光景。黄色いスクールバスに乗せられて、帰宅したキーシャとナサニエルは、玄関を息せき切って上がり、廊下を走りながら、「マミー。マミー。」と大きな声で叫んでナタリーを見つけると彼女の腰に飛びついた。両手にふたりの子どもを抱えて迎えるナタリー。彼女は数年前の交通事故で痛めた右ひざを引きずりながら、子どもたちを台所まで抱きかかえて行ってダイニングの椅子に座らせた。「あのね、今日はすーごくいいニュースがあるから、よく聞いて。私たち家族は、おーきな家に引っ越すの。芝生の庭がある2階建ての家。」子どもたちは興奮して家中が大騒ぎになった。キーシャが7歳の誕生日を迎える前に子どもたちに別々の寝室を与えなければならない。それが里親のライセンス(資格)の条件なので、ナタリーの引越しの決心はそのことに基づいていたことがひとつ。そして、彼女がキーシャとナサニエルを養子として迎え入れるための準備だった。 ナタリーは私に言った。「わたしは、ついこないだ婚約を解消したの。婚約者が黒人の子ふたりを引き連れたわたしとの結婚にふみきれないって言ったから。わたしと長女にとって、この子たちのいない生活なんて考えられない。キーシャとナサニエルはわたしたちの家族だから。」上級裁判所で、養子縁組が決定したのは2009年。ナタリーが子どもたちに出会って4年の月日がたっていた。 〈里子だけでなく、実親も支えるのが里親の役目:ラモーナ〉 私は、いちばん尊敬すべき里親とは、実親を支援し、親子再統合に導かせることのできる里親だと思っている。ソーシャルワーカーとしてしばしば感じてきたことは、米国でも、里親と実親のあいだにまだまだ距離があることだ。親から分離されたばかりの子どもたちは、精神的にも不安定だ。住み慣れた家や、学校や友人から引き離された子どもたちについての知識を誰よりも持っているのは、実親である。子どもの環境にできるだけ「継続性」を持たせるために、里親はまず、実親にアプローチする必要がある。実親は、自分の子どもがどんな環境でどんな里親に養育されているのか、知る権利もある。 私がラモーナというベテランの里親に出会って今年で4年目。彼女は、地域の他の里親の良き指導者であるだけでなく、実親のサポートを地道に続けてきた人でもある。 「私も最初から実親の手助けを、率先してやってたわけではないの。」とラモーナは自分の実親との体験を語る。「少しずつ手探りで、里子たちにとって一番大切な肉親とのコネクションをつくる努力を重ねてきた。手順としては、実親と面と向かって会うことから始めなくていい。今だって、私はそこから始めない。まず、実親との短い手紙のやりとりや、電話での会話で、子どもの養育について話し合うの。その次は、子どもの健康診断のときに、実親と病院で待ち合わせたりすることで、子どもに関する有意義なインフォメーションを得る。お互いが、お互いの存在に慣れて、信頼関係が取れるようになったところで、私が里子たちを実親の家に連れて行って、親子の訪問を行うようにするの。」私がラモーナ宅を訪れたある日、3歳の里子のミッチが母親に絵入りの手紙を書いていた。「この子の母親まだ20歳なの。私がずっとペアレンティングの指導をしてきたこの若い母親の下に、ミッチはあと数ヶ月でもどって行く予定。親子再統合の後も、母親は毎週末ミッチをつれて私の家に遊びに来るって言ってる。子どもが、ふたつの世界を自由に生きて、2組の親に見守られながら育つ。こんないいことは無いよね。」そう言って、ラモーナは微笑んだ。 〈親族里親の心の痛み、そしてこれからの課題:ヘレン〉 アメリカで、これからもっとも主流になっていく里親は、親族里親だろう。ヘレンという親族里親のことが、私の心に深く残っている。それは、彼女がとびきり個性的な人がらだったとか、優秀な親族里親だったからという理由ではない。60歳の祖母、ヘレンの心痛が、多くの親族里親の抱えている心の悩みを象徴していたからである。 ヘレンの長女のナディアは幼少期に性暴力を受けたことが原因で、精神障害にさいなまれながら成長し、トミーとブラッドレーというふたりの男の子をもうける。トミーは母親ナディアのネグレクトがもとで、祖母へレンに引きとられた。5年後、ナディアはブラッドレーを生み、数ヶ月間はひとりでこの子を育てていたが、精神状態の悪化するナディアに、裁判所はブラッドレーを分離する判決を下し、ブラッドレーは里親に養育される。祖母はトミーの世話と仕事で手一杯で、ブラッドレーを受け入れることができなかった。自分の娘の生んだふたりの男の子たちを一緒に育てられないことの、悔しさとつらさを、ヘレンは私に何度となく話した。そして何よりも、彼女が自分を責めたのは、ナディアに性暴力を与えた男が、自分の恋人だったことだ。「私はなぜ、ナディアを守れなかったんだろう。あんなことがなかったら、ナディアの人生はきっと違ってただろう」と言った。 アメリカでは1980年代、急増する麻薬使用や売買の犯罪で監禁される親たち、エイズで死亡する親たち、子どもを虐待したり置き去りにする親たちに代わって、子育てを引き受けた祖母・祖父たちの数が全米で4倍に膨れ上がり、“高齢の親族による子育て”が社会現象として注目されるようになっていった。その後、あらゆる地域に親族ケアギバーのためのサポート・グループが広がっていった。そして、アメリカ連邦政府は1997年のASFA(アスファ)という児童福祉に関する法案で初めて、親族里親の重要さを表明する。 そして現在、児童福祉における親族の役割と位置も大きく変わった。里子の4分の1が親類に育てられている。カリフォルニアやイリノイ州などの数州では親族里親の占める割合が半数以上になった。ここで私が取り上げた数値は、児童保護局の介入によって “正式に”親族に措置されている約13万人の子どもたちのことで、政府機関の監督や支援無しに親族に育てられている、いわゆる”非正式“な親族(キンシップ)ケアの子どもの数は250万人以上と推測されている。子育てにあたる親族は、叔父叔母など様々だが、約3分の2が祖父母。近年では、女性、つまり祖母や叔母のひとり子育てが目だって多く、キンシップ・ケア全体の4割が貧困のカテゴリーに属している。 アメリカの児童福祉の世界では、親族は家族の「延長」だから、実親の次にその子どもについてのエキスパートだ、という考え方をする。私が勤務するワシントン州の児童保護局のソーシャルワーカーたちも、子どもたちが実親とともに生活できない場合、できる限り親類のもとに措置する努力をし、そして、親族を家族会議に招くように訓練されている。州法にも、ライセンス(資格)を受けた里親ではなくて、親族を優先することが義務付けられている。 この10年ぐらいで、米国のキンシップ・ケアに関する研究が進んだ。その結果、親族里親のメリットは数多くあることがわかってきた。まず、親族に引きとられる子どもたちは、ライセンス(資格)を受けたフォスターペアレント(養育里親)に育てられている子どもたちに較べて、措置場所をかわる確率が低く、また、兄弟姉妹がばらばらになって暮らす確率も低いという結果が出ている。親類のもとに措置される子どもたちの多くが、学校やコミュニティーを維持し、生まれ親しんだ文化や家族の伝統を守ることが可能だ。 親族に育てられている里子の増加とともに、親族との養子縁組を図り、それが成就しない場合は、親族が子どもたちの後見人となる正式なガーディアンシップ(親族後見人)を成立させることによって、子どもたちに恒久的な家族環境を与えようとする動きが全米に広がった。そして2004年には、親族養育者支援法案(Kinship Caregiver Support Act)がアメリカ連邦議会に提出された。この法案の目的は、親族のための助成金改善だけでなく、親族里親たちの情報交換を緊密にして、自助グループやカウンセリングなど、地域の社会資源を活用できるようにする「親族ナビゲーター・プログラム」を確立してゆくことにあった。ワシントン州も、この連邦法案を受けて数年前キンシップ・サポートの充実に乗り出したが、現時点では、親族里親に対する手当ては通常の里親の支給額のおよそ半分。トレーニングやレスパイトのような支援もほとんど確立されていないのが現状で、これからの課題は山積みだ。 (粟津美穂)