日本の里親インタビュー 第一回 二飯田さん
日本の里親インタビュー 第一回
二飯田秀一さん・笑子(えみこ)さん 石川県在住。
石川県里親会会長。ファミリーホーム「旬」代表
◆まず、家族構成を教えてください。
秀一さん:
現在子どもたちは、6歳、小学校2年生、5年生、中学2年生、高校1年生、17歳アルバイト業、の6人。それから妻と母と私の9人で暮らしています。4人の実子は独立していますが、彼らの上京先に里子を遊びに連れて行ってくれたり、里子たちと関わってくれています。
◆なぜ里親になられたのですか。
秀一さん:
私は結婚する前から「里親になりたい」と思っていました。私の親が「三日里親」としてお正月などに子どもを預かっていました。21歳の時、中学生の子を夏休みに施設から預かりました。預かったと言っても、私もハタチそこそこで、たいして子どもと歳が変わらなかったので、里親というよりは兄弟みたいな感じですよね。その子には施設を退所して行き場のない兄が2人いることがわかりました。そこで兄たちも我が家に来て、5年ほど一緒に暮らしたりしました。
そんなことがありながら、昭和60(1985)年に結婚しました。当時は、施設の子どもとの短期交流をしたり、養育困難になった知り合いから子どもを預かったりしていたものの、本格的な「里親制度」と、自分がやっていることが全く結びついていませんでした。
4人の実子にも恵まれました。実子と里子(当初は正式な里親子関係ではなかったが)を分け隔てなく育てようと無我夢中で生活してきました。子どもたちの学業の節目を期にようやく里親登録をしましたが、それは実質の里親家庭になってから10年以上経った、平成11(1999)年のことでした。
それから、結婚する際に、妻には「里親をやるよ」と言っておいたつもりだったのですが…
笑子さん:
里親をやるなんて、「聞いてないわよ!」という感じでした(笑)
でも、昔からそういうことをしていたのは知っていたので。今になって何のために里親を続けているかと言えば「うちに帰れん子、うちおいで」という気持ちがあるからで、ただそれだけです。我が家に来るということは、縁のある子なんでしょうから。笑いや喜びもあります。巣立った子が来てくれるのは嬉しいです。
◆今までの養育について教えてください。
秀一さん:
児相を通して委託された子は11人、家庭裁判所を通じて委託された子が2人、無届で一時的に暮らしていた子もいます。誰を何年養育した、という風には言えないかもしれません。里子が成長し子どもを持ったあと、親子で我が家に相談に来たりするので、巣立った子どもたちにも引き続き関わることがあります。以前、里子の実親が亡くなったと聞いて、遺された子どもに必要な手続きをしたり、葬儀を出したりもしました。
子どもたちの名前については、実名と二飯田名のどちらを名乗りたいかを確認しています。実親の意向も考慮しながら、地域や学校で呼んでもらう通称を決めています。
現在、障がいのある子を専門里親として預かっていますが、とても穏やかな子で、皆がその子に癒されていますね。
笑子さん:
新たに子どもが来ると、家の雰囲気が変わり、できあがっていきます。それは一つの楽しみになっています。例年正月には、何人か実家に帰る子どもがいますが、いつの間にか「実家に帰らない子は、この家に居るのが当たり前だよ」というスタンスになっています。
秀一さん:
ただ、うまくいくことばかりではありません。大変な時期もありました。施設で育った被虐待の子がいましたが、管理する人間に対しての反抗的な態度が目立ちました。「どうせお前らも捨てるんだろ。捨てろ。」と言われたことが残っています。自分の限界を感じました。
笑子さん:
「愛情を与えてあげればうちに馴染んでくれるだろう」という甘い考えがこちらにありました。彼女には満たされない深い深い傷があったのだと思います。もっと早い段階でみてあげることができていれば…という思いがあります。眠れない日が続き、周囲にも「どうにかしたら」と言われました。その時その時に対応しているので、自信をもって大丈夫とは言えません。その子に腹が立つこともありましたが、かわいさもあるんです。「こういう子もいる」と思います。
秀一さん:
一方では、非行をしていた子がうちに来たらコロっと変わったり、ということもあります。居場所をみつけて寝そべったりして、年下の子をかわいがってくれています。正月には、独立した実子たちや元里子たちが帰省しました。その雰囲気も彼にとっては居心地がよかったようでした。
◆地域とのつながりはありますか。
秀一さん:
地域の方には、「我々の力だけでは育てていくことができないので」と常に伝えています。施設の元担当職員さん、児童相談所、児童館、警察…皆さんにあたたかく見守っていただいています。
◆他の里親たちとのつながりや研修やサポート体制について聞かせてください
秀一さん:
サポート体制は、自分たちで切り開いてやってきてしまったという感じです。
かつては里親=特別養子縁組、というイメージで、里親会も養子縁組希望者が大半でした。サロンへの参加を嫌がる人がいたのですが、その理由は「サロンに行くと、『自分は実の子ではない』と子ども自身が気づいてしまうから」でした。親子関係について里子と話すことを先延ばしにしたがる人が多かったのです。
私が会長になってからは、養育里親が中心の会に変わり、私が登録した時から比べると県内の登録数は倍増しました。今では「真実は3歳までに話しましょう」と研修で言われるような時代になってきて、かつてのような理由でサロンに消極的になる人も減ってきたように感じます。
笑子さん:
未委託(まだ里子が委託されていない)人には「児相に自分をアピールしてきな」と声をかけています。里親の事務局が児相にあるので、里親同士が連絡を取り合えるようにと児相にも伝えています。
ベテランの里親には名刺を作って、”おせっかいおばちゃん”の役割を担ってもらえたらと思っています。児相に話しにくいことを話したり、”おばちゃん”が児相と施設(児童養護施設)との接点になって、里親の裾野を広げていければと思います。
秀一さん:
今やろうとしているのは、未委託の里親が、ベテラン里親の家庭で養育の体験をすることです。養育に関する指針が厚労省から出ていますが、もっと簡単なマンガやDVDがあればいいなと思います。
◆日本の特徴・地域の特徴など感じることがあればお聞かせ下さい。
秀一さん:
里親制度が浸透していないことで、煩わしさを感じることがあります。日本は親権が強すぎるとも感じます。子どもの入学の手続きがスムーズに行かなかったり、病院で受診券(※)を見せても通じないことがあります。役所とけんかに近いこともしてきました。今では逆に信頼してもらえるようになりました。
良いことも悪いことも、すべて自分たちの糧になっています。
–ありがとうございました。
◇取材後記
取材を通じて、ご夫婦でいくつもの困難を乗り越えて来られたことが伝わってきました。かつての里親会には養子縁組を希望する人が大半で、養子となる里子を委託されたらその後は会に関わろうとしない人が多く、交流自体が難しかった、というお話には驚きました。
子どもたちの利益を守るために身を挺して、時に関係機関とぶつかりながら、地域との関係を切り開いてこられた二飯田さん。地道な活動で地域の信頼を得ていくこと、里親の存在を地域で確かなものにしていくことが、日本の里親制度の浸透にはとても重要なことだと感じました。(梶愛)
※受診券…措置期間の医療費を公費負担にするため、医療機関に提示するもの。保険証の提示が一般的であり、医療機関によっては受診券の存在が知られていない場合がある。
※記載されているお子さんの年齢や性別は個人が特定できないよう修正を加えてあります。